その後の父(退院後約3ヶ月半)

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2023年4月10日に退院し、元々いた特養老人ホームに看取り介護契約で戻った後のことを書きたいと思います。

(ただただ綴っているだけでごめんなさい!)

現状をお伝えすると、約3ヶ月半たった今、見違える状態です。

もはや見取り契約である必要あるのか?という状況ですが、解除してしまうと対面で会えなくなってしまうので、兄弟でも話しこのままでいくことにしました。

やはり対面で面会できなくなってから、認知症も進んだと思うんです。

スタッフさんが介護してくださるときの、拒絶がひどくなったりもやはり精神状態が不安定になったのではないかと。。。

その結果、薬でコントロールするしかなくなり約15種類の薬を毎日摂取したら、それこそ胃が強かった父といえど、胃潰瘍になるでしょう。

もちろん薬でコントロールしなくてはいけないことについて、施設の方を攻めるつもりも気持ちも全くありません。

現実問題そうするしかないのですから。

出てくる食事(ゼラチンで固めたような形態の食事)も基本完食するという、退院時の「もはや口から栄養と水分がどこまで取れるかによる。」という状態ではなくなっています。

機嫌がいい時は、おしゃべりや冗談も言うくらいです。

ただ身体の方はおそらく片肺(右肺)だけが機能している状態で、この右肺をダメにしてしまったらいけないので肺炎には十分気をつけなくてはいけない状況です。

自分でもよくぞここまできたなと思うところもあります。

当初は私自身の意地になっている部分もありました。結局自己満足のためか?と思うところもありましたが、何よりも私は「母を見てあげられなかった分、唯一の親である父をしっかり見てあげたい。」という気持ちが第一でした。

今改めて思い返してみると、全てがいいタイミングな気がします。

心身ともに限界を感じて、仕事を辞め→寸前に初期乳がん見つかる→仕事辞めたので、各検査手術入院・放射線治療全てがスムーズに完了→おやつ代程度だけど、フリーのWeb関連の仕事も始まる→父入院→退院するが自宅か施設で受け入れてもらえるか

となった時に、PC持ち込んで父の部屋でお仕事をしながら、食事介助などするというからということで、看取り契約を結び受け入れてもらえることになりました。

これが仕事辞めていなかったら、そうそう休める環境でなかったため、自分の手術のところからまず後倒しになっていました。

お小遣い程度でもフリーの仕事が始まらなければ外に出なくてはいけないので、父のところも通うことができず、介助条件で受け入れもしてもらえなかった可能性もあります。

じゃあ、後々のあなたの生活はどうしていくのか?というともちろんこのフリーの仕事を徐々に単価上げていますし、プールしていた貯金(大した額ではありませんが)をどうにか減らさず増やせるよう、簿記・FPの資格を取り投資の勉強と実践もしています。

自分の中で見えたことは、PC1台でできるこの仕事を伸ばしていきたいと思っています。

介護退職は絶対お勧めしません。介護しながら仕事を何か探す・新しいことに挑戦するのはおそらく無理です。

介護休職制度というものありますが3ヶ月という期間もあり、現実問題ケガなどによる要介護に関しては使えるかと思いますが、私のように母の癌で余命少ないとか父のようなケースで使うのは難しいです。

この部分はまた改めて詳しく綴りますね。

介護は本当に、精神的にも肉体的にも想像以上にハードなものです。

自分のことはそっちのけになります。

どちらかとポジティブな私でさえ、精神的に積もっていくものもありました。

私の場合は介護退職ではないので、辞める時のために、「とりあえず、いくらまで貯金しておこう」と設定し、まずはそこに到達させてから辞めました。

当初は一旦時系列で書こうと思ったのですが、そうするとだいぶ時間がかかりそうなのでまずは直近の様子を綴っていくことにしました。

時間は期間ごとの食事形態や、どういう状態だったかということをお伝えします。

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À bientôt !

S.

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