現在は父を我ながら献身的にお世話しているわけですが、決して相思相愛の仲良しだったわけでもないんですよ。
年頃の頃ははっきり言って大っ嫌いでしたし、ぶつかることも多々数えられません。
でも、今ではそんな父が可愛く思えることの方が多いです。
もちろんあまりにわがままされると、病気だとはいえ「このクソ親父!」と喧嘩することもありますが、私はそれでいいと思います。
認知症相手であっても、ある意味対等でいいと思うんです。
頭に来ることたくさんあります。それに対して「ごめんね〜」とごまかしていちいち怒ったりしませんが、こちらも余裕がなくなるとそりゃ人間ですもの、ムカつきます。
時にはそんな気持ちを外に排出しないと、大爆発してしまいます。
だから、時に食事時突然口を閉めたり、ぺっと吐き出したり、「殺すぞ!」といきなり怒り出したりした時に、口で「このクソ親父!食べないならもう食べなくていい!」と面と向かって怒るのもありだと思います。
暴力振るうわけではありませんし、5〜10分して「さぁ、ご飯食べようよ!」と明るく言ったら向こうも何もなかったかのように「うん。食べよう!」と笑顔を見せて食べ始めますもの。
そして毎日続くことなんですもの。でも“その時“だけで、絶対に引きずりません。
昭和の頑固な職人気質な父
なんと言っても、高校卒業してから生まれ育った島根県から関東に出てきて働き続け、仕事を認められて独立し親方として小さくとも自分の会社を持った父。
まぁ、昭和の頑固親父、頑固な職人気質な父ですわ。
忘れもしない小学校5年生の頃、2段ベットに上がろうとしていた私を引きずり下ろし、往復ビンタの応酬。
いまだになぜそんなことされたのか分かりません。
多分下の部屋に母親もいたはずですが、泣き叫んだはずの私の声を聞いてもこなかったことは何か、母親から聞いて怒ったんだと思いますが、本当に見覚えがないんです!
今だったら「虐待」とでも言われるでしょう。
念の為父の名誉のために言いますが、常にそうだったわけではなく子供に対し愛情はあるのに接し方がよく分からなかったようです。(母曰く)
島根県の片田舎で生まれ育ち、大黒柱である父親が全てで、同じ席で夕食を取ることは滅多にないような環境で育ってきているので、時代でしょうね。
そんな環境の元13人兄弟という大人数の末っ子で育ってきた父親は、自分がいざ子供を持った時にどう接して良いのかわからなかったようです。
散々「食わしてやっている」「この家から出ていけ!」と怒った時に言っていた父ですが、いざ私が就職し「1人暮らししたい。」と言った時はびっくりするほどの大反対。
それでもある日怒った際「出ていけ!」と言われ、「出て行きます!」ということで後に引けなくなった父は私の1人暮らしを認めざるを得なくなったのでした。
その頃はまだ私も父が好きではありませんでした。それを理由に家を出たいとずっと思って来たので・・・
家を探すときにはしっかりついてきました。
心配だったんですね。でも、それをもちろん素直に言えるわけありません。
父と私の関係が変わってきた
そんな父ですが、理由つけて電話をしてきたり、週末遊びに来たりと変わって来ました。
そこから始まった1人暮らしの私との関係は私も仕事をし父の大変さも知り、酒好きのふたりなので一緒に呑んだり、そのうち2人で旅行に行くほどになりました。
ちまたから言えば、仲のいい父娘でしょうね。
一人旅が好きな私ですが、英語が話せない父の世話をしなくてはいけないものの気を遣わなくて良かったので、国内旅行はもちろん海外旅行もよく行きました。
3人いた子供の中では最終的には一番私がコミュニケーション取っていたこともあったからか、認知症になりピック病で暴れるようになっても私の言うことはちゃんと聞いていました。
当時私は東京在住でしたが、父がピック病診断されてからは毎日父宛に電話をするようにして、週末には実家に帰るようにしていました。
母は必死に父の介護をしていましたが、症状が出ると『恐怖』でしかたかったので、本当に大変だったと思います。
「それなら実家で一緒に生活してあげれば良いのに」を思われる方もいるかもしれませんが、独身といえど私も自分の生活があります。
仕事も必死に食らいついて、朝から夜遅くまでずっと全力でやってきた大切な仕事です。
通勤時間往復4時間でやっていけるような仕事ではありませんでした。
なので、ひどいと言われようが東京を引き払う気もありませんでしたし、家族もそこは分かっていて戻って来てとは言いませんでした。
私が父からもらった大切なもの
母にもよく「貴女は仕事に対する姿勢がお父さんそっくり!」と言われましたが、最初は「どういうこと?」と思っていましたが、今では本当にそう思います。
『仕事に対しての「強さ」「粘り」「諦めない」』と言うところは、父からもらった大切なプレゼントです。
今では、心から言えます。
「お父さん、大好きよ。まだまだ長生きしてね。」と・・・
À bientôt !
S.
コメント